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モーツァルト一考・代表 加藤明のコラム(K618)

モォツァルト広場と言うモーツァルトの愛聴団体を結成して来年で10年目を迎えます。
この間主宰者たる私に 多くの買いかぶった言葉が贈られたものでした。曰く「やはりピアノとかの演奏をするんですか?」とか、「どこの音大を出たのですか?」とか。その都度「いや、私は楽譜もまともに読めないのです」とありのままをお知らせすると相手は一様にキョトンとした表情をされる。時には間が持たないくらいの沈黙で座がしらけることもあったものです(私は元来逆説的な存在なのかもしれません)

このことは音楽に関する営為、特にクラシックと言われている音楽的営為に携わる人はなんらかの演奏が出来る人、あるいは音楽のスペシャリストであるはずだという一般的な常識がはびこっていることを証明しているのではないでしょうか。つまり、音楽を楽しむと言う行為を演奏する側の立場からだけの一方的なとらえ方で収めてしまう安易な姿勢とでもいいましょうか。私はこれをこの国の音楽文化の貧困現象の一つと考えています。

2004年3月に私の勤務先(イヤタカという結婚式場)の取引会社を経営するY氏より「4月から採用する新入社員研修をイヤタカでやりたい、ついては加藤さんに講師役を頼みます」と言う申し出があり、二つ返事で了解しました。聴くと受講者は30人くらいとのこと。こんな大勢を前にしたレクチャーなど私にとって初めてでした。多少の不安hあありましたが、喋る方が初心者なら聞く方も初心者、ビギナーズラックの精神でやってみようと腹を決めました。

レクチャーにあたり計画を練りました。まず講師(私)と受講者(新入社員)の目線を対等にすることをコンセプトの一番におきました。ありきたりのベキ論や一般常識についての話は徹底的に除き、いわばできる限り生々しいヒトとしての講師(私)を露呈することで興味や好奇心を引き出し、友達感覚を醸成することに主眼を置くようにしたわけです。
はて、さて、そんな風に頭を巡らせていたら「モーツァルトの話、モーツァルトと私の関係についての話」をしてはどうかと思い至ったのです、(関係と言ってもモーツァルトはすでのこの世の人ではありませんので一方的にこじつけた関係ですが)。この着想の見事さ!を自画自賛した私は、この時同時に「民間における音楽授業」「学校の音楽室ではできない音楽授業」をモーツァルトを通してやってみたいと胸を躍らせました。

そして、これはイケルと確信しました。その理由ですか?

それは次の3点の理由からです。
第一のいる理由は私がモーツァルトにどう関わって日々を送ってきたかを語ることは「ヘーッ、この人いったいナニモノ?」といった新鮮な疑問を投ずることになるはず。

第二の理由はモーツァルトの名前は良く知っているがうまれてこのかた一度として意識的にモーツァルトが作った曲を耳にしたことがないはずです。だから、ひょっとして素直にモーツァルトが受け入れられるかもしれない。そうなったら、こんな素敵な音楽の授業はないのでは?と考えたからです。
皆さん思い起こしてみてください。広い音楽ジャンルのなかにあって聞きたくもないベートーヴェン(クラシックなる!音楽)をみなで砂漠のような音楽室で、カツラを被ったバッハやヘンデル、ハイドンらに睨まれ、耐えながら聞く行為の愚かしいまでの滑稽さを。それを強いてきたこの国の音楽教育の絶望的な貧困さを。そんな劣悪な教育環境下にある「音楽」という次元にならされた新入社員の皆さんにハッとさせることができれば本望だと思ったのです。

そして第三の理由は皆さんご周知の通り当のモーツァルトの音楽が誰よりも集中力を高め、心のリラックス効果があると認められているからでした。

いよいよ4月1日本番を迎えました。海上のレイアウトですか?もちろん受講者一人ひとりの顔がインストラクターと向き合えるようにシアタースタイルでセッティングしました。またステージを使わず受講者と同様の目線を形成することで親近感・一体感を醸し出しやすく工夫してみました。
やや緊張美味の30名の初々しいみんなに私はまず「自分がいかにいい加減なダメ青年であったか」を具体的な事実を吐露しながら熱く語りました。虚飾なく、この世の果てしない絶望感、不信感をいただいた時代のことや多くの失敗談を臆面もなく話しました。

そしてわたしが「この世にとって自分が余計者だと少しでも思ったことのない御人はよほどお目出度い変人に違いない」などと乱暴な言葉を発したあたりから当初の予測通り、それまでの場内の緊張感が氷解していくのが観えました。成功の感触。
モーツァルトについてはこれからの社会生活(人生)にあたって、仕事(会社)に振り回されるのではつまらない。自分が夢中になれる遊び(の感覚)を身につけたほうが豊に過ごせるぞ!というテーマに移ってから、待ってましたとばかりにドンドン紹介していきました。K1のクラヴィーアのためのメヌエットを最初期の作品として、K626レクイエムを最後の作品として海上いっぱいに響き渡る音量で聴いてもらいました。そして、このK1、5歳からK626、35歳までの30年間にほぼ700曲に及ぶ作品を残したW.Aモーツァルトとはどんな人であったかについてかいつまんで紹介しました。

こんな切り口から、私がモーツァルトに魅せられた経緯やモォツァルト広場結成の話などを鉄砲玉の勢いで喋り捲ったのでした。たとえばK511のロンド イ長調は大切にしていた親友ハッツフェルトを病気で失ったモーツァルトの嘆きとして紹介。おなじみのK311トルコマーチ、40番のシンフォニーなどは開設抜きでとにかく聴いてもらいました。みんなとてもいい顔です。何かを強く感じている表情とでもいいましょうか。
そして締めくくりにはこんなことを話しました。

いまこうしてモーツァルトを聞いている皆さんはモーツァルトが故郷ザルツブルクと決別し、凛としてウィーンでの自立を始めた時と同じ人生のポジションにいるのです。
モーツァルトは安泰な召使の一生を嫌い、自らの意思で音楽家として独立独歩将来を切り開こうとしました。その驚くべき強じんな意志と才能のお陰で我々は今こうして珠玉のモーツァルト音楽に浴する事ができるわけです。この自分のこう在りたいという石こそはそれぞれの個性を発揮できる源泉だと信じます。

最後にモーツァルトの残された多くの手紙は有名ですが、読んでいていつも感ずることがあります。それは、モーツァルトって「自分に偽りのない人」だなあ、ということです。
自分を偽らずに率直に意思を表現することは実はとても難しい作業なのですが、モーツァルトはいつもこの点では真摯な姿勢を貫いた人です。そんなモーツァルトにあやかって、また素y腰は皆さんより人生経験が多い先輩からのメッセージとして「ウソは人を縛り、真実は人を解き放つ」という先人の言葉を引用し、新社会人の心得を唱えながら1時間半のレクチャーを閉じました。

振り返ると気恥ずかしいことが少なくない内容ではありましたが、研修直後のみなさんの表情を観察していて、達成感に近い喜びが湧いてきました。それはまた一つ、私のモーツァルト体験史に自分だけの勲章が飾られたことを意味しています。その点で今回のレクチャーの機会を与えてくれたY氏には大いに感謝しているところです。

私は音楽を楽しむと言う行為の聞いて楽しむ側のスペシャリストになりたい。多くの楽譜や作曲家や演奏者とは無縁の、聞いて楽しんでいる一般愛聴家のひとりとして音楽と関わっていきたいのです。今回のレクチャーから、ひとりでもモーツァルトに出会えたこと、音楽を再発見することになった若者がおったなら、それは即席音楽教師として望外の喜びというべきものでしょう。