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モーツァルト一考・代表 加藤明のコラム(K618)

「モーツァルトのサヨナラ音楽」‥‥‥聴いて欲しいモーツァルト その2

男の呼吸を停めてしまうほど
深く、美しい
一切のコトバを打ち消すほど
無垢な魂の表出

モーツァルトの音色はいつもこうだ
キミはもうあの最期のホルンコンツェルトを聴いたか
あのコンツェルトのモーツァルトの微笑みを観たか

男は16才の夏、照り輝く太陽を仰いで初めてホルン協奏曲ニ長調<1番・K412/514(386b)>を聴いた。
軽快で嘘のように耳に抵抗がなく、ただただ清らかで澄んだ旋律がスイスイと心地よく右脳を刺激しつつ男に侵入してきたことを憶えている。
抵抗がなかったせいか、残念なことにその時は儚くも男の青い精神に心地よさ以上の何かを刻むことはなかった。
自分を探す果てしない旅に出ていた者にとって、モーツァルトの軽快感・音楽のもつ肯定感は意識的に排除されるべきものであったかもしれない。
16才、納得できない自我を持て余し、勢いのままにより強靱な教えを求めていた。
だから、その頃はベートーベンが主任教授と言っても良いくらい主にドイツロマン派を聴いていた。

いまは恥ずかしい光景でしかないが、一晩中暗やみの中でフルトヴェングラーのシューマン4番やシューベルト9番のシンフォニーを浴びたことだってある。赤面。

31才のまたしても夏、思いもかけない転職の危機が二児の父となった男を襲う。
焦燥と不安の只中、なぜかまたモーツァルトが男の前に顕れる。
ホルンコンツェルトニ長調はその頃の男の意志を根っこのところで支えてくれた一曲となった。
16才の出会いの心地よさ、軽快感は健在で懐かしい響きであったが新たに何処となく沁みいる寂寥感といったものが感じられたものだ。


男がモーツァルトを意識的に聴きはじめたこの頃、この曲はモーツァルトがウィーンに活動の場を移したばかりの25〜6才の作品と信じられていた。
ところが近年イギリスのA・タイソンらの五譜用箋の年代研究によって、この曲が実は最晩年の10ヶ月の間に書かれたものであることが判明したという曰くつきの一曲となった。
その昔はモーツァルトと同郷のザルツブルクの宮廷ホルン奏者で、今は同じようにウィーンに越してチーズ屋を営みながら屈託なくホルンを奏する、25才もモーツァルトより年上の仲良しロイトゲプその人のために作ったものなのだ。
そんな型破りな変なおじさんロイトゲプのためにモーツァルトは5曲もの傑作をウィーンで気前良くプレゼントしたのだったが、件のニ長調コンツェルトは正真正銘彼がロイトゲプに贈った最終最期の例えようもない美しさと優しさに満ちた白鳥の歌なのだ。(読者はクラリネット協奏曲K622とシュタードラーの関係に相似していることに気づかれるのでは?)

ではその美しさと優しさ、特異な微笑みと言ってもいいものは何処から来たか。それはモーツァルトが意識し始めた自らの死の予感からではなかったろうか。それは死を視つめたモーツァルトの最期の人生の肯定を謳ったものであり、ヨーゼフ・イグナツ・ロイトゲプに託された後世の人々への遺言の言葉ではなかったかと推察する。
この曲には異例なことに緩徐楽章がない。澄やかな第一楽章アレグロのあと唐突に「狩りのロンド」6/8拍子が待ち構えているのだ。意図したとは思えない「第二楽章」(緩徐楽章)の欠落感。狼狽えるのはわが魂だけだろうか。実際のところ、「狩りのロンド」は完成されずに絶筆となっていたという。
弟子ジュースマイヤーが師匠の死を悼み4ヶ月かけてやっとの思いで完成させた、とA・タイソンは伝えている。

男はそれでも幻の「第二楽章」を探し、想い巡らしている。あれほど形式にうるさいモーツァルトが緩徐楽章を書かなかった、いや書けなかったその苦しさの丈を思うとジーンと来てしまうのだ。
愛すべき弟子ジュースマイヤーは中絶した楽譜・「狩りのロンド」を完成させたことによって亡き師匠の弔いを果たすと同時に、誰よりも先にモーツァルトのサヨナラを強く感じとった筈である。
桁外れの天才を師匠にもったジュースマイヤーがその偉大さに畏敬の念をもちながら真剣に時として涙ながらに補筆している様を男は想像し、このコンツェルトの有り難さをかみしめるのだ。

キミはもうあの最期のコンツェルトを聴いたか
あのコンツェルトのモーツァルトの微笑みを観たか


【 推薦盤 】

◎バウマン(ナチュラルホルン)、アーノンクール指揮/ウィーンコンツェルトハウス・ムジクス
※この盤はとくにK495変ホ長調が出色。

◎A・シビル(ホルン)、マリナー指揮/アカデミーCO
※本当にすばらしいK412ニ長調です。

◎ブレイン(ホルン)、カラヤン指揮/フィルハーモニー

Ps この文章を書いている間に、松本秋次会員が急病でご入院とのお知らせを受けました。会員番号K412の氏はホルン協奏曲の大好きな方であり、広場の設立当初からご指導とご支援をいただいて来ました。一日も早いご快復を心から祈念申し上げます